今日は、私の仕事の紆余曲折(第3弾)を書いてみようと思います。
興味のない人は、スルーしてくださいね。
これまでの仕事の紆余曲折(第2弾)で書いた通り、丁度、アクセサリーのイベント販売のお仕事をしていた頃です。
当時は、歌のライブなどを自主企画して、出演していたこともあり、声を使っての仕事をしたい、ナレーションのお仕事をしたいと思うようになりました。
実際に、シンガーであり、ナレーションのお仕事をされている方はよくいらっしゃいます。
私のイメージでは、当然、ナレーターコンパニオンではなく、原稿読みのナレーション、企業の動画などのナレーションですね(汗)
また、ライブなどのMCの時に、どうにも居心地の悪さを感じるような苦手感があり、これを克服したいと常日頃考えていたことも理由の一つです。
まぁ、やりたいと思うと、えい!とやってしまうようなところはあるのですが、アナウンス学院に入学する時に、スタッフの方に、学んだ後の仕事のことも確認はしました。
結局、1年学んだ後、芸能事務所のオーディションを受けて、受かれば、事務所に所属するという流れです。受からなかったらそれでおしまい、ということですね。
オーディションは、若い人の方が有利・・・という話も聞きました。当然ですね。
今から思えば、よくやる気になったなぁと自分でも思うのですが、当時はワクワクしてました。
実際、学び始めてからは、初めての世界、何もかも思うようにいかず、正直大変でした・・・・
学校では、20代の方が多かったですが、30代、40代の方もいらっしゃいました。
ナレーターを目指さなくても、お仕事に活かしたくて来られている方もいらっしゃいました。
先生や若くて夢を持っている人との出会い、様々な出会いがあり、濃密な1年でした。
そして、ダメ元で臨んだオーディションに一社だけ引っかかり、ナレーター事務所に入ることになりました。
オーディションに受からなかったら、多分すっぱり辞めていたと思います。
事務所では、プロとしてはまだまだなので、週1のレッスンを受けるように言われ、同期のメンバーと週1でレッスンに通うことになりました。
当時、娘が小学校5年生です。
夕食は用意しておいて、初めてお留守番をさせることになりました。
帰りは遅くなるので、一人で食事して、先に寝てもらっていました。
まぁ、私としては、必死ですよね。
仕事につなげたい藁をもつかむ思いでした。
結局、仕事がほとんどこないということもあり、事務所は1年くらいで、辞めることになります・・・
この続きは、機会があったらまた、いつか・・・!